Story1. 葡萄畑の形成
甲府盆地東部の勝沼地区は、葡萄栽培が古くから行われ、葡萄にまつわる伝承の地となっています。奈良時代の名僧行基の夢に、葡萄を手にした薬師如来が現れ、その姿を刻んだのが大善寺(ぶどう寺)の薬師如来像であり、この地に葡萄栽培を伝え、これが甲州ワインの原料となる甲州葡萄であると言われています。
江戸時代になると、葡萄は後に甲州式と呼ばれる竹を使った棚で栽培されるようになりました。元々葡萄は乾燥を好む果物であるため、棚による栽培は通風が良く生育に適し、日本における葡萄栽培の原型となりました。
その後、竹に代わり自由に加工できる丈夫な針金が明治中期に導入されたことで、どのような地形にも棚が作れるようになり、屋根状に広がる葉の間から色づく葡萄の房が、シャンデリアのようにぶら下がる光景が傾斜地にまで広がるようになりました。
またこの地区では、東西に流れる日川が度々氾濫し、家や田畑が流されるため、明治末期以降、土砂流出を防ぐための石積みの治水施設や上流に土砂止めの堰堤などの施設が作られました。
その結果、川の氾濫が抑えられ、日川沿いの田畑は水はけの良い砂地に変わり、葡萄畑への転換が進みました。現在でも、日川沿いの葡萄畑の中には、役目を終えた治水施設が幾筋もの石畳となって残っています。