日川の流路を固定するために明治44年から昭和6年にかけて建設された土砂流出防止の74基の治水施設。現在、下部は土砂に埋まり、上部のみが葡萄畑の中に石畳のように見えています。周囲の土地は水はけのよい土地に変わり、葡萄畑として利用されています。