Story3. ワイン文化
明治時代になり、ワインづくりが政府の殖産興業政策の一環になると、葡萄栽培が盛んな山梨県では明治9年に甲府城跡に県営の勧業試験場が開設され、全国に先駆けて葡萄酒醸造所が開かれました。
また明治初期、勝沼にあった日本初の民営のワイン醸造会社が二人の青年をフランスへ派遣し、本格的なワイン醸造に取り組みました。そして、試行錯誤を繰り返しながら、ワインの醸造と普及に情熱を注ぎ続けた人々によって、この地域では「葡萄酒」文化が形成され、定着していきます。
明治中期には、勝沼の生産農家が葡萄価格の安定に取り組もうと組合を組織し、ワイン醸造に乗り出した際、組合員の間で冠婚葬祭はもちろん日常もワインを飲用する葡萄酒愛飲運動が始まり、ワインは農家にとって生活に密着し、身近な飲み物となっていきました。
山梨県ゆかりの作家太宰治が甲府に逗留した際のことを書いた小説『新樹の言葉』では「押入れから甲州産の白葡萄酒の一升瓶を取り出し、茶呑茶碗で、がぶがぶのんで、醉つて來たので蒲團ひいて寝てしまつた。」とあり、地域にワインが浸透し、飾らない楽しみ方で飲まれる様子がよく描かれています。
このように農家が中心となって始めた葡萄酒を造り楽しむ習慣は、やがて組織化され、本格的なワイン醸造につながり、現在、峡東地域は60を超える日本一のワイナリー集積地に発展しました。
西欧の古城風の建物から養蚕農家を改築した家屋まで、ワイナリーの形態は様々であるように、同じ地域の甲州葡萄で造った甲州ワインであっても、風味や香りはワイナリーごとに異なっています。
この地域のワイン文化は神事にまで及び、笛吹市の一宮浅間神社では祭神の木花開耶姫命が酒造の神であることから、昭和40年頃からワインが奉納されており、県内ワイナリーの約半数に当たる40社ほどが、農作業が始まる3月半ばに一升瓶ワインを奉納し、参拝者へワインの御神酒が振る舞われます。また今では葡萄の豊作と良質なワイン醸造を祈願してコルク栓を供養する地域のお祭りも併せて行われています。