日本遺産「葡萄畑が織りなす風景」は、認定継続となりました!

平成30年度(2018年度)に文化庁から日本遺産の認定を受けた「葡萄畑が織りなす風景-山梨県峡東地域-」は、認定から6年が経過したため、日本遺産審査・評価委員会による「総括評価・継続審査」を受けました。

令和6年(2024年)7月23日に、文化庁から認定継続と発表されました。

<参考>文化庁報道発表


○日本遺産とは?

地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語るうえで不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を国が支援する事業です。

<参考>文化庁HP


○日本遺産の「総括評価・継続審査」とは?

令和6年現在、全国に104の日本遺産が認定されていますが、日本遺産全体の底上げを図り、ブランド力を強化していくことを目的として実施されています。

これまでの計画目標と取組内容を評価する「総括評価」と、これからの事業計画を審査する「継続審査」が行われます。

<参考>文化庁発表資料(令和5年12月)


○「葡萄畑が織りなす風景ー山梨県峡東地域ー」とは?

【構成自治体】山梨県山梨市、山梨県笛吹市、山梨県甲州市

【ストーリー概略】

<葡萄畑の形成と広がり>

奈良時代、葡萄を手にした薬師如来を夢に見た行基が、この地に葡萄を広めたという伝説が残っています。

戦国時代から江戸時代にかけて、「竹を使った葡萄の棚栽培」が地域に広まると、これが「甲州式葡萄棚」として、全国に広まっていきました。

葡萄栽培の収益性に目をつけた住民は、家屋の軒先まで葡萄棚を作り、家、神社仏閣が葡萄畑の海に浮かぶような、この地域でしか見られない風景が誕生したのです。

<葡萄から始まるワイン文化>

明治時代に入ると、政府の殖産興業政策とほぼ同時に、日本初の民営のワイン醸造会社が勝沼に誕生しました。

明治中期には、葡萄の生産農家たちの間でもワインが飲まれ、冠婚葬祭から日常までワインを愛飲する地域の文化が醸成されていきました。

ワイン醸造を組織化し誕生したワイナリーが作るワインは、同じ地区や、同じ葡萄の品種であっても、それぞれのワイナリーの伝統とこだわりを感じることができます。

【6年間の主な取り組み】

・日本語・英語対応の日本遺産紹介看板設置

・構成文化財や地域の観光施設を横断して楽しむ周遊ルートの作成とガイドマップ制作

・県外イベントでのPR活動

・協議会の構成団体が行う事業に対する補助・協力

これまでの取組内容と、これからの事業計画が評価され、日本遺産の認定が継続となりました。


今後も峡東地域ワインリゾート推進協議会では、日本遺産を含め地域に根付いた文化や資源を活用した地域活性化に取り組みます。

協議会/日本遺産の活動については、ホームページやSNS等で発信をしていますので、ご確認ください。

協議会H協議会公式X(旧Twitter)


 

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